さくら通り

新宿の歌舞伎町でも、さくら通りが好きだ。人の匂いがする。きっと血液の匂いが混じっていたとしても驚かない。18の時はじめてきた。パチスロ屋の前に並ぶとポン引きが話しかけてくる。「この店ははじめてかい?朝いちだけだから気をつけな」中国人、東南アジア人、そしてやつれたホストたちの列に紛れている。店に入ると眼の前は全部スーパープラネットだった。1ゲーム目に一斉にビックが揃う。でもぼくの台は揃わなかった。隣のフィリピン人が気怠そうに「諸人こぞりて」を奏でる。揃わないのに打ち続けているのが自分だけだと気づいて店の外にでた。
ポン引きが待っていた。言ったとおりだろう。次勝った時よろしく頼むやと声をかけられた。もうだいぶ前の話だ。

さくら通りにはぼくの通っていたファッションヘルスがある。多くのパチンコ屋がなくなる中、そのパチスロ店もまだ存在している。この街はだんだんやせ細っていく。18の頃牙を向いていた街は、ぼくのような落ちぶれた犬の溜池になっている。そう、ぼくは沼に入るように地下にあるその店に沈んでいく。

風俗嬢はいつも同じ臙脂のドレスを着ていた。さほど美しいわけでもなくさほど色気があるわけでもなく、ただ献身的な女だった。体つきはどちらかという骨太でしっかりしていて、大きな抱きまくらを抱いているような感覚が気持ちよくて、何度も後ろから抱きしめた。
「まるで痴漢みたいね」
「いやそんなことないだろ」
「いいえ、きみは痴漢みたいよ」
女はニヤニヤと笑って前からだきしめ返す。
そんな遊びを繰り返した。ぼくは月に1度は彼女に会いに行った。

御苑で桜を撮った帰り、ぼくは店に寄った。彼女はいつもと同じようにぼくを抱きしめてキスをしてくれた。それだけだった。それ以上のことはなかったし、求めてもいなかった。
ただ、その日は少しだけ違っていた。終わったあと、いつものようにぼくは彼女にその日撮った写真を見せていた。御苑の桜は満開だったのだ。

「わたしもカメラを買ったの」
ふと彼女が言った。それまでは恋人のふりをしてくれるような優しい女だったが、ふとぼくの反応を伺うような心細そうな声に変わった。
「えっ?何を買ったの」
「液晶がついてないの」
彼女はカバンから銀色のカメラを取り出した。
「ライカじゃないか」
「うん」
「いくらしたの?」
「30万円、レンズは1本しかないの」
イカにはズミクロンの50mmが装着されいた。
「何を撮ったらいいのかわからないの」
少し照れたように笑った。その表情が風俗嬢のそれではなく、同じクラスになった女の子と会話をしているときのそれだった。この娘は普段こんな表情をしているのかと思った。
「桜を撮ればいいよ」
「白黒のフィルムしか持ってないよ」

ぼくは次の週、会話のつづきをしに歌舞伎町へ行ったが、彼女は店を辞めていた。ライカを買ったという告白がサヨナラの代わりだったことにその時気づいた。


イカ

その献身的な風俗嬢は
とくだん楽しそうでもなく
とくだんつまらなそうな風でもなく、ただ
カメラを買ったの
六畳にシャワーとベッドしかない部屋で
ぼくが聞くと
イカのね、ライカのね
レンズはズミクロンだけよと笑う
まるではじめてのカメラを触るように
恥ずかしそうに自慢する

どんな写真が撮れるかしら
美しい桜が撮れるよ
モノクロの桜はきっと
雪のようだね
春に降る東京の雪が撮れるわ

 

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