断章十四

三島由紀夫の「翼」を読んだのは高校入試前の模擬試験問題だっただろうか。通学途中の電車で背中合わせで立つ高校生の男女が、お互いの背中に翼があることを予感しながら振り返ったら慕いあっていたいとこ同士で、という内容だったと思う。短編だったのに、結局作品自体を読んだのは大学生になってからだった。図書館の全集でわざわざその一篇を探して読んだ。たしか昼休みだったと思うが、とても満ち足りた気分になったことを覚えている。
「翼」は果たして名作であったか。今となっては耽美的な内容がちょっと鼻につく。それでも戦時中の澄んだ空気の描写というのは、なぜか多くの作品からも感じられるが、具体的に描き、それを戦場で喪われた多くの兵士たちの霊が美しているのだと語る風景には、不自然ながら不思議な説得力がある。

もちろんここで批評なんてしようとは思わない。いつも同じ駅で同じ電車に乗る紺色のセーラー服を着た彼女に、ぼくは多分翼を見ていた、というのは言いすぎかもしれないが、三島の「翼」の風景を重ねていたことは間違いない。ただ風景を重ねていただけで、単なるメタファーとして処理しようとしていた。だから彼女の厚い布で隠された身体を確かめたいとも思わず、ましてや想像上で脱がしたりもせずに、あくまで言葉の中の遊戯で終わらせようとしていたのである。

「翼」の主人公である杉男は従妹の葉子の背中に翼があることを予感していた。でも葉子もまた杉男に翼があることを予感していることを知らなかった。葉子の死後、戦後の日本を杉男は生きるが、彼の背中に翼があることに気づくことはなかった。

もちろんぼくの背中に翼があるなんて全く思わない。彼女の背中に翼があるとも思っていなかった。いや、息をしていることすら知らなかった。彼女にも多分血が流れていたし、ぼくと同じように、多分、槇原敬之を聴いたりCHAGEASKAを聴いたり、もしかしたらMariah CareyとかNew Kids On The Blockなんかを聴いていたのかもしれない。

「女の子ってねえ、抱きしめるとやわらかいのよ」

中学卒業時の担任が心配そうな顔をして教えてくれた。もしかするとその心配は当たっていたのかもしれない。抱きしめた手の先、女性の背中には翼がある、なんてことを言うつもりはないが、少なくとも温もりぐらいは想像できたはずだ。大学5年目、馴染みの居酒屋で旧友たちと飲んだ日のこと。ぼくが就職活動なんかしていると話したらその居酒屋の大将はつまらなそうに吐き捨てたのだ。「きみは普通になっちゃったね。小説家になるんじゃなかったのかい?」

小説家なんて多分本気じゃなかった。でも小説家になりたいなんてうそぶいていた割には、世の中が詩でできていることには気づきもしなかった。バグダットに撃ち込まれるミサイルに痛みはないように見えたことに似ていた。緑色の閃光が見える。ゲームのよう。未来は思ったより簡単なように見えた。