20180818

東京、といっても僕はその外れに住んでいるので、自分が東京人とは03で始まる市外局番以外に意識したことはないのだが、ふとした瞬間にここは東京なのだと気付かされることがある。

庭に羽根が落ちていた。

故郷では羽根を見つけることはそれほど珍しいことではなかった。なぜ羽根が落ちているかなんて考えたこともなかった。
いや、もしかすると羽根なんて東京にだってよく落ちているのかもしれない。実を言うと鳩の死骸の話を書こうと思っていたのだった。田舎でも鳩の死骸を観たのはその一回きりだった。庭で父とキャッチボールでもしていたのだろうか。後逸したボールを取りに行くと、足元に灰色の塊があった。触るとまだぬくもりがあった。肉の塊だった。それが鳩だと気づくのにずいぶん時間がかかった。よく見ると申し訳程度の頭がついていた。撃ち落とされたのだろうか。そのあと土に埋めたか焼却炉で焼いたかしたと思う。いや、土に埋めたはずだ。焼いたのならその匂いを僕は覚えているはずだ。

東京に鳥がいないというのは嘘だ。カラスなんて毎朝見る。でもカラスの顔なんて見たことがない。故郷のカラスは怒っていたり笑っていたり表情豊かだった。でもここではカラスの顔なんて見ない。ただの害鳥だ。

いや、数年前に上野公園でカラスの写真を撮った。ヘルマン・ヘッセの「小ガラス」という短編を思い出していた。結局は自分の意識の問題なのか。僕はいつからか景色を見なくなっていた。なんでだろう。東京というのは都合の良い言い訳に過ぎないのかもしれない。